植物に因むお祭り 「あさがお市」 H20.7.19
平成20年7月19日 入谷・あさがお市 ![]()
今回は、随分と久しく訪ねていなかった入谷の「あさがお市」を訪ねました。鬼子母神のある「入谷」界隈は、昨年 都道の街路樹調査で何度となく行き来した場所でしたので、少し懐かしい気持ちになります。(^_^)
通常は、7月の6~8日の3日間行われる「あさがお市」ですが、今年は洞爺湖サミット等もあった為、18~20日に変更しての開催となりました。
さて、入谷のあさがお市は、100店舗ほどの店が出る事から、「日本最大のあさがお市」と云われています。奈良時代、唐から初めてもたらされた「あさがお」ですが、当時は今のような「観賞用」ではなく、「薬用」として持ち込まれた歴史があります。薬用といっても、「牽牛子(けんごし)」と云って、所謂 「下剤・利尿剤」としてです...。(^-^;
江戸期には、様々な品種改良が行われ、大輪ものや変り種などが次々に作出されてゆきました。江戸の頃、薄給の侍達が、食べる為に様々な「内職」をしていた史実は、皆さんご存知の通りです。「武士は食わねど高楊枝」...、しかし物価は上昇し続け、手当ては少ない,,,と、こうなると内職をしてでも食い繋がなくてはなりません。
其処で、武士たちが手掛けた内職が、「あさがお」、「金魚」、「スズムシ」、「つつじ」等の飼育・栽培だったと云う訳です。比較的、裕福であった商人たちを相手に、武士の生活苦が感じ取れますね...。尚、入谷のあさがおは、主に明治頃より盛んになってきたものですが、大正期に地価高騰によって、一度に廃業が相次ぎ、入谷の朝顔は姿を消してしまいます。昭和20年代に、地元有志の努力や台東区と協力等によって、今のような盛況な姿に復活して、今日に至っております。
どのような事柄にも、世相の影響や幾多の変遷、興亡の歴史がある訳です。様々な価値観が氾濫し、あらゆる格差が顕著化し、改善の兆しすら全く見えぬ混沌とした現代社会に居て、色んな事を考えさせられますね。どの時代にも、逞しく、強かに生き抜く努力が必要です。

































































